ブラタモリは、忍者で知られる甲賀と、信楽焼の信楽、となりあった地域を訪ねました。
林田理沙アナの記事も書いています。こちらです。
Contents
ブラタモリ甲賀・信楽(こうか・しがらき)オープニング
ここは甲賀市(こうか)の神社
「いきなり連れて来られて、どこだかわかりません」
たぬきの忍者がいます。
今回は、スカーレットの舞台 信楽(しがらき)と
忍びの里 甲賀 忍者の伝説が残ります。
まずは、甲賀を、小谷徳彦さんが案内。
甲賀は歴史の表舞台にも深く関係しています。
今、甲賀忍者と言われているのは、甲賀の武士のこと。
今日のお題は、「歴史は甲賀で動いた!?」
「この神社の拝殿に各集落の長が集まって、話し合いをしていました」
「なんの話し合い?」
「それが大事」
「今から忍法をおみせします」と案内人さん。
拝殿で手をたたくと、「びょーん」という音。
「これ忍法?がっかりだな」と辛口のタモリさん。
ブラタモリ甲賀(こうか)甲賀武士が歴史を動かした
甲賀武士の秘密をさぐりに山へ。
「甲賀忍者のイメージは?」
「ニンニンはよくいいますね」と林田さん。
「あ、ふだんはいいませんよ」
忍者になった林田さんの映像が流れます!
◆
尊い、という感情以外ありません#ブラタモリ #林田理沙 #ニンニン #待ち受けにします #QRコードが pic.twitter.com/bVodLmDGpW
— buratamoro (@buratamoro2020) March 7, 2020
土塁に囲まれたこの場所は、山城。こんな山城が200以上あるそう。
「伊賀は、なわばり争いで、いさかいが絶えなかった」と聞きました。
「そこまでは、同じです」と案内人さん。
「伊賀武士とは違いがあるんです。」案内人さん。
「伊賀の山城には、土塁に石を落とすためのくぼみがあったり、土塁が3重になっていたりしたが、ここにはそれが無い」と気が付くタモリさん。
「城を進化させてないんだ」
案内人の説明によると、伊賀は織田信長が攻めて来たけれど、甲賀は織田信長と戦わないことを選択した。
甲賀武士は織田と組んで、伊賀を攻めることに加勢したのです。
「卑怯と思う人もおるかもしれないけど」
「戦国時代はみんな卑怯でしたよ」とタモリさん。
「どうやって自分の党が生き残るか」
「甲賀武士は誰につくべきかをみきわめるのに長けていたのです」案内人さん。
・甲賀武士は、室町幕府から逃げてきた六角氏を守り抜く
・天正伊賀の乱では、織田信長に加勢
・徳川家康が明智軍から逃げた時は、家康軍を守る
甲賀武士は、時代の節目に選択にせまられ、歴史を動かしてきたのです。
伊賀より、京都に近く、近江にも隣接。
何かあると、攻められたり、逃げ込まれたりする場所。
この立地が、生き残るため情報量や、知恵をはぐくんでいた。
神社の拝殿で長が話していたのは、決断をどうするかという話し合いでした。
ブラタモリ甲賀(こうか)豊臣秀吉が甲賀武士を制圧するためにとった策を探る 旧東海道
旧東海道を歩きます。保育園児と出会います。
「おじさんはこうやってブラブラしてるんだよ」
四差路にでます。
一本の道が、三本に別れる。
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これを見たら、
もっちゃん…という言葉しか浮かばないハズ。地元の同級生なら。#NHK#ブラタモリ#甲賀信楽 pic.twitter.com/ZpigHMCHvw— 石と薔薇 (@squirebrown) March 7, 2020
豊臣秀吉は、家康との戦いを妨害した甲賀武士に不信感を抱いていました。
「林田さん、ブラタモリで町の見方がかわりました?」と案内人さんが質問。
「カーブを見るだけで、川のあとかなと」
あーっ、わかります!
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卒業に向けた前振りでしょうか…寂しい#ブラタモリ #林田理沙 #リンダロス pic.twitter.com/S7FbC1v6uN
— buratamoro (@buratamoro2020) March 7, 2020
近くの山(古城山)には、豊臣が城を築きました。三本に増やした道ぞいに、甲賀武士を住まわせ、監視することにした。
武士の身分もはく奪し、甲賀武士同士の話し合いも禁じた。
甲賀武士の活躍がここで終わったことを知ったタモリさん「はかないな」
ブラタモリ甲賀(こうか)豊臣秀吉が甲賀武士を制圧するためにとった策を探る~古城山
では、古城山の上にいきます。
非常に眺めがよく、さっきいた場所にいるスタッフがパネルを振る様子が、よく見えます。
甲賀武士の動きも監視できる!
そして、旧東海道もよく見えます。
「京の入り口がよく見張れる」
東には徳川家康がいました。
鈴鹿山脈のふもとで、豊臣勢力圏の東端でもあり、豊臣秀吉としては、ぜひ押さえておきたい場所だったのです。
その後、豊臣秀吉は、北条も滅ぼし、天下を統一しました。
ブラタモリ信楽(しがらき)お茶壺道中と信楽焼
ここからは、信楽の話になります。
再び旧東海道へ。
「お壺おきどころ」と古い地図に書いてあります。
ヒントは籠(かご)。お茶壺道中といって、徳川将軍が権威を誇示するために、お茶を籠にのせて、行列をしていたのです。このお茶の壺に信楽焼が使われました。
「ずいずいずっころばし」で歌われる茶壷は、「お茶壺道中」のこと。
林田理沙さんが、ずいずいずっころばしを歌ってくれる。
「これがおもしろいの?」
タモリさんは、一人でずいずいずっころばしをしていたみたい。
お茶壺道中に使われたことで、信楽焼きは日本中で人気に。
「なぜ信楽焼は日本を代表する焼き物になったか」
と次のお題が信楽焼きの中にはいっていました。
ブラタモリ信楽(しがらき)の秘密 博物館
信楽焼は、多くの人に愛されました。
昭和天皇がいらした時に、信楽焼のたぬきを差し上げたら、興味をもって和歌をよんだことがあり、話題に。昭和天皇はなんと、子どものころから、タヌキの置物がお好きだったそう。
岡本太郎も、千利休も信楽焼を愛好。
こんなに愛されるのは、信楽焼が変幻自在だから。どういうことでしょう?
一行は、博物館で信楽焼を見ます。
信楽焼きは、火鉢のシェアのほとんどを独占していました。
手りゅう弾などの武器も、信楽焼きで作られたものがあります。
汽車の旅のお茶の入れ物としても使われていました。
タモリさんは使われているのを見たことがあるそうで、「これ熱いんだよ」
信楽焼のバスタブ!
林田理沙さんが妄想入浴。
◆
ブラボ~
この番組で彼女の歌声を聴けるのも今回が最後かな?…#リンダ #林田理沙 pic.twitter.com/kx94Bap1QJ
— 北大路主水 (@yowoureuhibi) March 7, 2020
岡本太郎さんが創作物、「黒い太陽」に使用。
国会議事堂にも使用。
今、名画も信楽焼きで再現されています。
◆
159【変幻自在が好まれた信楽焼】千利休から岡本太郎まで。大阪万博·太陽の塔 裏側「黒い太陽」は信楽焼だった。国会議事堂のタイルにも採用。世界の絵画も「信楽焼で再現されている」#ブラタモリ×#スカーレット #159甲賀·信楽 #信楽焼 pic.twitter.com/6g15raovRo
— わび@さび (@think_literacy) March 7, 2020
千利休も愛用。
茶人を魅了したものは、「蟹の目」、「自然釉」という自然に出る突起や模様。
「火色」と呼ばれる独特の色合い。
焼くと自然に出る風合いが、茶人の心をつかみました。
「変幻自在な信楽焼は、どうして生まれたんでしょう?」
ブラタモリ信楽(しがらき)信楽焼の土は?
信楽焼の土がとれる山へ。
タモリさんは土をみて、「石英と長石だ」
「あれがカニ目になったり、ガラスのようになったりするんだ」
石英・長石は溶けるとガラス状になり、それが突起や模様になるのです。
また、石英・長石が入ることで、石垣のように支えになって、大きな製品がつくれる。
「おそばにつなぎが入る感じですか?」と林田アナ。
「近いようで遠いようで」とタモリさん。
もともと、ここの地層は花崗岩。風化すると、長石・石英になる。
湿地帯に花崗岩が堆積してこのような地層ができた。
信楽焼の「火色」と言われる赤っぽい独特な色も、花崗岩の鉄分が酸化してできる色。
鉄の量が絶妙なことで、あの色になったそうです。
「甲賀と信楽は全く別の地域みたいだな。戦乱と、芸術。」
「甲賀と信楽は、花崗岩の分布がぜんぜんちがう、これが信楽と甲賀のちがいになったんだな」
「石によって生かされている」とまとめたタモリさんでした。
ブラタモリ甲賀・信楽(こうが・しがらき)番組のサイト
「忍者の里」甲賀と「スカーレット」で注目の信楽。全く異なる地域で2つのテーマをタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす▽なぜ信楽焼は日本を代表する焼き物になった!?
「ブラタモリ#159」で訪れたのは滋賀県の甲賀市。東の甲賀エリアで「歴史は甲賀で動いた!?」、西の信楽エリアで「なぜ信楽焼は日本を代表する焼き物になった!?」、市内で2つの異なるお題を探る▽甲賀武士が歴史を動かした選択の数々を検証!?▽豊臣秀吉が甲賀武士を制圧するためにとった策を探る▽「ずいずいずっころばし」と信楽焼の関係とは!?▽変幻自在!信楽焼の魅力を徹底的に探る▽信楽焼をつくる土の秘密とは? |