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ブラタモリちばらぎ!再放送予定!全ルート紹介!2019.6.1放送

ブラタモリ「ちばらぎ」再放送と概要

2019年6月1日放送のブラタモリ#135は「ちばらぎ」でした。
再放送は、2019年7月16日(火)

千葉と茨城にまたがる地域“ちばらき”はニッポンの要だった?鹿島神宮・霞ヶ浦・潮来・佐原…この地域の重要性をタモリさんが歩いて解き明かす▽伊能忠敬の測量技術を体験

「ブラタモリ#135」で訪れたのは“ちばらき”と呼ばれる千葉と茨城の県境。歴史・文化的に結びつきが強い地域▽鹿島神宮の本殿はなぜ北向き?▽徳川家康が変えた利根川の流れは“ちばらき”に何をもたらした?タモリさんが実験で考える▽広大な水田から生まれた「水郷」観光の魅力。“ちばらき”は江戸にとって一大娯楽地域だった?▽千葉県佐原がうんだ偉人・伊能忠敬。200年前に全国を歩いて作った日本地図の正確さに感動

【出演】タモリ,林田理沙,【語り】草彅剛

北を睨む?鹿島神宮

ブラタモリは1300年の歴史を持つ鹿島神宮に来ています。
今日のお題は、「ちばらぎは日本の要」です。

國學院大學(考古学)の笹生(さそう)さんに話をききます。

「ちばらぎ」というのは、地元ではよくつかわれる言葉。
歴史的にも、文化的にも、千葉と茨城は強く結びついています。

「チバラギが、日本の要なの?」とタモリさん。
今日の番組で解き明かしていきます。


◆シカが鹿島神宮の重要さをあらわしている?

シカといえば、思い浮かぶのは、奈良の春日大社。神の使者として大切にされています。

このシカは、もともと鹿島神宮の神 タケミカヅチオオカミが春日大社に勧請された時に、
シカに乗っていたのがはじめだったのです。

シカは、奈良より、鹿島が先なのです。

◆本殿が北向き の秘密

鹿島神宮の本殿は、参道に対して横向きです。これは珍しい。
方位磁石を取り出す一行。本殿は北を向いてます!

タモリさん「珍しいですね。普通寺社は南向きですね」

北を向いているのには、わけがあります。
このころ、北に蝦夷がいました。
鹿島は、ヤマト朝廷が、北の蝦夷に対する、最前線基地だったのです。

鹿島の神は、武勇の神様。
江戸時代の「鯰絵」(地震をおこす鯰をかいた版画)に鹿島神宮の神タケミカヅチオオカミが、鯰を抑え込んでいる絵が描かれています。

日本の神宮は、伊勢神宮、鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)の3つ。
3つのうち2つがチバラギにある!

茨城、千葉が重要な土地だったことがわかります。

◆どうしてこの場所が重要?

「奈良の中央政権と東北の間の場所は、むしろ群馬なんではないですか?」とタモリさんの質問です。

では、その答えを見に行きましょう。

一行が向かったのは、霞ケ浦の北浦。鳥居がたっています。


答えは、霞ケ浦。

当時、今の2~3倍の面積があった霞ケ浦は、今の銚子から海につながっていました。
奇跡の水上ルートだったのです。
海運の要、物も人も大量に運べたので、霞ケ浦沿いは重要な場所でした。
一方を鹿島神宮が、一方を香取神宮がおさえていました。

「残りの話は千葉で聞いてください」笹生さんとはお別れです。


家康にもらった利根川で発展!水郷

利根川沿いの千葉側にやってきました。
今度は、千葉中央博物館、大利根分館 糠谷さんに話を聞きます。

◆江戸時代の大事件!利根川をもらってしまった!

利根川では、江戸時代に大事件が起こりました。
徳川家康が、江戸に流れ込んで毎年洪水を起こしてた利根川を、千葉・茨城に付け替えたのです。
利根川をもらってしまった千葉・茨城では、毎年洪水!

しかし、この地区は、それを利用して、大事な地域にのし上がりました。
利根川の洪水でできたたくさんの中州を、水田に変えたのです。

タモリさん一行は、中州を水田に変える実験をします。
水が流れている土の塊を水田にする?どうすればいい?

水田を掘って、堤防を作るのです。
海に近いところでは、水が引いたときに、掘って堤防を作る。
これを繰り返して、土地を水田に変えました!

土が固くて、「これは大変だ!」という一行。

◆水田だけではない!観光スポットだった

水田を作るために堤防を作った時にできた水路は、用水路になりました。

そこには、船を浮かべて、江戸に米を運びます。

さらに・・
「何をしたと思いますか?」
「釣り?」とタモリさん

答えは観光なのでした。一行は、観光船に乗り込みます。

水路を船は行きかう風景は人気を呼び、江戸から観光客がやってきました。
着物を着て、観光船をこいでいる高田さんは、40年のベテラン。

「お嫁にきて、こんなことをやるはめにね・・」
観光船の船頭さんは、農村の女性の農閑期の仕事でした。
今は、エンジンで船を動かします。

水路はせまく、いくつも水門をくぐって、広い利根川の支流に出ます。

対岸の潮来は、遊郭があります。
鹿島神宮、香取神宮にもお参りできて、このあたりは、総合エンターメントスポットでした。

「潮来の伊太郎」を歌う一行
「潮来」の伊太郎 ちょっと見なれば
薄情そうな 渡り鳥♪

「薄情さそうな渡り鳥、どんな人だろうね。いろんな人が来たんだろうね。」とタモリさん。
「次は佐原を見てください。私はここで」糠谷さんともお別れです。
「担当が短いね」とタモリさん。


伊能忠敬が地図に目覚めた町!佐原

佐原を案内するのは、元国土地理院 院長 星埜さんです。
佐原は、日本地図を作った伊能忠敬の出身地。佐原の商人だったのです。

◆伊能忠敬 伊能忠敬記念館

伊能忠敬記念館に行きます。
ここには、国宝になっている地図がたくさん。

日本地図には、赤い印が。
海岸線を歩いて距離と角度を測量した印です。

地図には、黄色い印も。
夜、星を観測して測量した印です。
隊員は、「夜酒を飲まない」と起請文を書いたんです。
タモリさん「それはいやですね」

◆佐原の商人が地図をつくったわけは?

地域のリーダー、防災の責任者だった伊能忠敬は、洪水を起こす利根川の測量をしました。
最初に作ったの地図は、利根川の地図なのです。

55歳になって、全国の地図を作り始めました。
そのころの55歳は、今の70歳くらいの感じ。私たちくらい・・

「タモリさん、今からどうですか?」
「酒を飲まずに?いやいや」

◆タモリさん 測量体験!

ブラタモリ一行は川沿いで、測量を体験します。

距離をはかるのは、目盛りのついた縄(なわ)。
凧あげのときみたいな、大きな糸巻きにまきついています。

・測量の片方の点に、竿(さお)(ぼんてん)をまっすぐ立てます。(林田理沙さん)

・測量のもう片方の点に立って、磁石のはいった位磁石(ワンカラシン)を持って、ぼんてんが立っている方角を読みます。(タモリさん)

・距離と方角を、和紙に記録します。

・ぼんてんとワンカラシンの位置を入れ替えて、もう一度測量し、数字を平均します。

「これを日本中回って!」タモリさん一行は感じ入ります。

◆伊能忠敬の地図の功績

伊能忠敬の地図は正確で、衛星を使った地図との誤差は少なかったので、昭和4年まで、教育、軍事に使われ、日本を支えました。

チバラギはやっぱり日本の要

タモリさん
「目の前の自然と向き合って、日本の要となるものを生み出してきたんだね。今まで意識してなかったけれど、日本を日本ならしめたものを生み出したチバラギ。

伊能忠敬と最後につながりましたね。」

コメント

  1. […] この回は、青いコート姿の林田アナです。 この回での名シーンは測量体験。林田理沙アナは竿(ぼんてん)をまっすぐ立てていました! 写真で林田アナが持っているのが竿(ぼんてん)→詳しくはこちら […]