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ブラタモリ京都御所!再放送・ロケ地・全ルートレポ!2019.9.7放送

ブラタモリは京都御所!放送した全ルートを詳しくレポートしています!

◆再放送情報

放送を見逃した方が気になる再放送予定。
再放送の枠は、火曜日の

最近の回の再放送は、
ブラタモリ#135 ちばらぎ(6月1日(土)放送)→7月16日(火)再放送
ブラタモリ#137 白金台(6月22日(土)放送)→7月23日(火)再放送
ブラタモリ#138 阿蘇(6月29日(土)放送)→7月30日(火)再放送
ブラタモリ#139 西陣(7月13日(土)放送)→9月3日(火)再放送
ブラタモリ#140 釧路湿原(7月20日(土)放送)→9月10日(火)再放送
ブラタモリ#141 阿寒・摩周(7月27日(土)放送)→9月17日(火)再放送
#142   京都御所(9月7日(土)放送)→10月1日(火)再放送

このサイトでは、ブラタモリの全ルートをくわしくレポートしていきます!

林田理沙さん情報はこちら!


◆まずは、番組のサイトから

「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」

“令和”改元でも注目を集める京都御所。約500年ものあいだ天皇の住まいだった京都御所はなぜ平安京の隅にある?タモリさんが京都をブラブラ歩いてその謎を解き明かす!

「ブラタモリ#142」で訪れたのは京都市の中心部。京都御苑の中にある京都御所は14世紀から明治はじめまで天皇の住まいであった。京都御所が今の場所にある理由を探る▽なぜ天皇家は移動を繰り返した?▽路面電車・嵐電に乗ってひもとく高低差の秘密とは!?▽京都御所の場所が定着したのは鴨川がカギ?商店街を歩いて確かめる▽鴨川の上流から御所まで引かれた「御所用水」の痕跡をたどる▽宮廷文化を今に残す冷泉家を訪ねる

【出演】タモリ,林田理沙,【語り】草彅剛




ブラタモリ:京都御所でオープニング!なぜ平安京の隅にある?

京都御所の前からスタートします。
御所に来たのはは初めてだというタモリさんと林田理沙アナ。

【ナレーション】
京都御所には、500年もの間、歴代天皇が住んでいました。
即位のときに座る高御座(たかみくら)や障壁画が残されています。

今週もお題が降りてきます!
「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」

「なぜこの場所というのは、考えたことないかもしれない」林田理沙アナ。

案内人の以倉敬之(いくら たかゆき)さん登場!街歩きのスペシャリストです。
(このブログの後ろにちょっと詳しく書いてます)

「天皇は14世紀から明治はじめまで、ここにお住まいでした。
今年行われる即位の礼も昭和初めまでこの場所で行っていました。
この場所(御所の場所)はどう思いますか」
と京都の地図を出す以倉さん。
中心ではない。はしっこだね。平城京は真ん中だね」とタモリさん。
「真ん中に作りたいですよね」
と以倉さん。

「天皇は、もとは大内裏(おおだいり)という平安京の中心に住んでいました。さまざまなことがあって今の位置に住むようになったんです
「さまざまなこと・・」
「それを探しに行きましょう!」







ブラタモリ:大内裏(おおだいり)で聚楽第跡を発見!なぜ天皇家は移動を繰り返した?

かつての天皇のすまい 大内裏(おおだいり)の跡に来ました。
「一見住宅街ですね」林田理沙アナ。

高所の上でお仕事中の方から「がんばってください」
「芸能人にむかってがんばってていうのね。芸能人、熾烈な戦いをしているのかな」とタモリさん。
「がんばってください、といいたくなります。応援してまーす、という気持ちですね」と林田理沙アナ。

細い道に入ります。
段差があり、狭いところにお城の堀がある!

「このような、だれもが建物を建てるのをはばかる土地に、城を築いた人がいるんです」
「そんなことをするのは、信長か秀吉?聚楽第?」とタモリさん。

秀吉の聚楽第(じゅえらくだい)の跡なんです。
聚楽第といえば、秀吉政権の首都という位置付けですから、かなりの規模があります。
「秀吉はでかいのが大好きな人ですからね」とタモリさん。
でも大内裏は、その16倍の広さだったんです!」と以倉さん。

大内裏があまりにも広かったのが移った理由なのです。
1112年に、白河法王も「内裏の電車はこうはくなり(住居が広すぎる!)」と書き残しているそう。
天皇は、まつりごとをする場も兼ねている大内裏ではなく、もっとコンパクトな住まいを求めました。

「林田さんは、自分の家にいたくなくなったら、どこがいいですか?」
「おれは分譲したい」
「引っ越すんなら、親類とか身内のいるところ?」

住みよい家を求めて、天皇は藤原氏などの有力貴族の豪邸に仮住まいしていました。
200回も引っ越したらしい。
以倉さんの示した図によると、994年から1162年の間、転々と住居を移ったのがわかります。

図をよく見ていると、天皇が住んだ場所はすべて左京。左京にしか住んでいない!
なぜ右京には住まなかったのか?

次はその謎を解きにいきます。


ブラタモリ:路面電車・嵐電に乗ってひもとく高低差の秘密とは!?

「嵐電(らんでん)に乗っていきましょう!」
嵐電の路線は大部分が右京を通ります。
タモリさん初の嵐電に乗車、レトロ車両に乗ります。
電車用の信号を発見して嬉しそうなタモリさん。

「道の感じを見てください」
嵐電の線路が坂道になって上がっています、今度は下がっています。
不思議な高台がありました。

一行は、歩いて高台の正体を確認。
今はなだらかにしていますが、かなりの坂です。
「京都盆地の中にこの高低差って考えられないですよね」と以倉さん
「天井川?」と正解するタモリさん。

川に土砂がたまって、平地より高くなることがあります。そこに人が堤防を作る、というのを繰り返すと、天井川になります。
このあたりは二本の天井川があって、何度も氾濫していました。
14世紀の地図を見ると、右京区はでは田畑のみ、人は住んでいないことがわかります。

「左京区には鴨川があるのに氾濫はしないの?」とタモリさん。
次は、その疑問を解決しにいきます。

ブラタモリ:京都御所の場所が定着したのは鴨川がカギ?商店街を歩いて確かめる

一行は、鴨川のほとりにいます。

ここから、案内人に、京都産業大学の 鈴木康久(みちひさ)さんが加わります。
鴨川を研究して20年、鴨川等間隔カップルに興味がある鈴木さんです。
京都の河川と人々のく歴史や暮らし、環境などの研究をしている方です。

この記事の後半に詳しい案内人情報書いてます。

白河法王も「鴨川は思い通りにならない」と嘆いたそうで、昔、鴨川は氾濫していました。

右京にもどって、出町商店街を歩きます。
懐かしい感じの人気商店街は、アーケードの中が上り坂になっています。
「これは河岸段丘?」とタモリさん。
鴨川の浸食によって、段差ができて坂になっているのです。

扇状地を流れる鴨川は、急な傾斜を流れます。
平安後期に鴨川の段丘化が進み、鴨川は2mも川面が低くなりました。
左京は、氾濫が少なくなり、住みやすくなったようです。
これが、994年から1162年の間、引っ越しを繰り返した天皇の住まいが、すべて左京にある理由です。

では、引っ越しを繰り返した天皇が、今の京都御所に長くすんだのはなぜでしょう?
次はその理由を解き明かします。

ブラタモリ:鴨川の上流から御所まで引かれた「御所用水」の痕跡をたどる

御所の北側にやってきました。このあたりを歩くと御所をささえる「あるもの」が見えます。
「道がくねくねしているから水路だね」と正解するタモリさん。

そのあるもの、御所用水は、鴨川上流から御所まで引かれた4キロほどの用水です。
御所用水の一番の目的は、防火でした。

用水の跡地には、川によく生えるムクの木、歩道の片側が広い道など、さまざまな痕跡が・・
「川の跡は大好き。川そのものより、かつて流れた跡が好きなんだよね」とタモリさん。

相国寺(しょうこくじ)に来ました。
この寺の中を御所用水が流れていました。

立派な庫裏を持つ相国寺。開山堂(かいさんどう)庭園に特別に入れていただきます。

昭和10年ごろに枯れてしまいましたが、もともとはこの庭園の中を、竜が蛇行しているような形で、水が流れていたそうです。枯山水に水路がひかれた珍しい庭園だったそうです。

京都御所に戻ってきました。御所用水を貯めていたあとがあります。
その先には庭園。庭園の水として使われて、天皇の生活の潤いになっていたようです。御所が

現在の場所に長く置かれた、最大の原因があります。

豊臣家、徳川家は、天皇の屋敷である京都御所を大改造したのです。
京都御所には、今出川門など、9つもの門があります。
ばらばたに住んでいた公家を集めて、門の中を特別の空間にしたのです。

江戸時代 門の中には200軒もの公家屋敷がありました。
豊臣家、徳川家には、天皇の権威を高めることで、自分の権威を高める集めて管理し易くするという思惑がありました。

「この場所に、落ち着いたというより、落ち着かされたんだね」とタモリさん。

500年天皇が住んだ京都御所。
明治時代のはじまりとともに、天皇と多くの公家は東京に移りすみました。

しかし、残った人もいます。

ブラタモリ:宮廷文化を今に残す冷泉(れいぜん)家を訪ねる

「冷泉家はご存じですか?」

京都御所の北隣にある冷泉(れいぜん)家は、藤原定家を祖先に持ちます。
新古今和歌集などの宝を持ち、宮廷文化を今に伝えています。

一行は、冷泉(れいぜん)家にお邪魔します。
25代目当主と奥様とが迎えます。

広い式台から上がります。
広間には年中行事5月の節句(旧暦では6月)の飾りが出ています。
病気がはやる季節に菖蒲やヨモギなどの和薬を飾ります。
歌会始め、乞巧奠(七夕の原型)などの行事も継承しています。、

明治地齋になったころ、冷泉(れいぜん)家は公家の中位におり、京都御所の留守居役を仰せつかりました。今でも、宮廷文化を伝えています。

「今日のテーマですが、いかがでしたか?」
「全然知らなかった。平安の前期と後期で、地形が変わって東側が段丘化して、人が住んだというのが面白かった。
いつもへりばかり歩いて、はじめて京都のど真ん中に来たけれど、ど真ん中おもしろかったね」

案内人は、以倉敬之(いくらたかゆき)さん

◆まいまい京都のツイートが8月16日に。

◆放送中の実況がおもしろすぎ

全部興味深いのですが。少しだけご紹介。まいまい京都のツイートは必見ですね。

◆以倉敬之(いくら たかゆき)さんプロフィール

以倉さんは、ブラタモリ「人はなぜ清水をめざす」の案内人をつとめました。

「ブラタモリ13巻」NHKブラタモリ制作班監修 2018.9発行によると、
「まいまい京都事務局」代表です。平成23年に、京都の住人がガイドする「まいまい京都」を立ち上げ、年間700回ものツア-が人気とのこと。
この本の中でも、以倉さんが、清水寺と、場所の地形や地質の関係について書いています。



ブラタモリ:案内人 鈴木康久さん

平成31年3月14日に右京区役所・左京区役所合同の後援会のチラシ掲載のプロフィールです。

<鈴木康久教授プロフィール>  ・水文化研究家 ・カッパ研究会世話人 ・琵琶湖・淀川流域圏連携交流会副代表幹事 ・京都府舞鶴市生まれ ・愛媛大学大学院農学研究科修了 ・京都府職員を経て平成29年4月より現職 ・京都の河川や名水がそこに住む人々と関わりながら育んできた歴史や暮ら し,環境等を研究し「京の水文化」として広く発信している。 ・著書「水が語る京都の暮らし」「もっと知りたい!水の都・京都」「京都 鴨 川探訪」など

◆京都産業大学 ホームページより

京都府舞鶴市生まれ、愛媛大学大学院農学研究科を修了後、京都府庁に勤務。府職員として、自然や景観に配慮した土木工法の普及や新京都府総合計画(第5次)の策定、NPOパートナーシップセンターの設立運営、地域力再生プロジェクト、自然環境保全などの業務に従事してきました。
その一方、2003年に第3回世界水フォーラムが京都で開催されたことを契機に、私人として水に関係するNPO法人等を設立運営し、京都の水文化を中心にした研究や活動等を行ってきました。これらの活動や行政経験が縁で、本学に赴任。河川や名水を巡り、その文化的特性について調べています。



ブラタモリ 京都御所 ロケ地情報

「お墨付き!」というブログには、2019年5月27日に、今回のロケ目撃情報も詳しくのっています。このブログを書いた時点では、テーマは公開されていなかったようです。

2019年5月27日、28日に雨の中でのロケが目撃されているそうです。
ブラタモリ西陣で出てきたのは、千両が辻だけなので、残り3か所は今回かも!

・嵐山電鉄の西院駅
・三条西小路の天井川(地図をひらいていた、まいまい京都のルートでもある、江戸時代に物資を運んだ運河があった)
・出町枡形商店街・・御土居(おどい)がある
・千両が辻(西陣・・西陣問屋街として栄えた場所)

さすが地元の方の詳細なレポートです。



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