「月刊東京人」私鉄がつくったまち!(2019年9月号、2019.9.3発行、都市出版株式会社)は、お散歩好き必携です。
「月刊東京人」は、「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーにしている雑誌。前から注目していましたが、今回はど真ん中に来た感じ。
書くことが多すぎて、バックナンバーになってしまった今頃書いていますが、読んでも読んでもよむところがあって・・
「月刊東京人」のサイトには、今回の特集について、このように紹介されています。
自分が住んでいる住宅地の成り立ちを、ご存じでしょうか? 東京の住宅地開発は、江戸が明治になり、山手線の内側では武家地の分割からはじまります。そして大正期、中産階級の成立によってサラリーマンが増え、住宅地はさらに広がり、昭和にかけて私鉄各社は宅地分譲や学校誘致などとともに鉄道を郊外に延ばし、沿線ごとの郊外文化が形成されました。世界的に見ても私鉄が都市開発を行う例は少なく、北海道大学名誉教授の越澤明さんは東京人九月号で、「郊外まで鉄道網が発達し、駅を中心に住宅地ができており、都市的生活を格差なく平等に享受できる」のが、欧米や途上国とは違う、東京の都市開発の特徴だと述べます。
(中略)
私鉄の住宅地開発は、戦後の高度経済成長期にかけてさらに進み、誕生から半世紀以上が過ぎた郊外住宅地では、住民の高齢化やインフラの老朽化など新たな問題に直面しています。そのような郊外住宅地では今、行政や自治会などと連携して解決方法を思案するなど、持続可能なまちづくりをめざしています。
東京郊外の住宅地の成り立ちをこれでもかと紹介してくれる特集になっています!
◆月刊「東京人」のツイート!
東京人9月号特集「私鉄がつくったまち」は本日発売です!大正から昭和にかけ、私鉄各社は鉄道を郊外に延ばすとともに、駅前や沿線で住宅地開発を行い、東京はさらに広がりました。私鉄の沿線開発、そして私鉄沿線の住宅街の歴史を、貴重な図版とともに振り返ります! pic.twitter.com/TEDmDPNOf1
— 月刊「東京人」 (@tokyo_jin_toshi) 2019年8月3日
Contents
月刊東京人 私鉄がつくったまち:目次はこんなです
記事をかいていらっしゃる 越澤明(越沢明)さんのツイートより!
『東京人』2019年9月号、特集私鉄がつくったまち pic.twitter.com/4DofFaETQd
— 越澤明(越沢明) (@prof_koshizawa) 2019年8月1日
月刊東京人 私鉄がつくったまち:「私鉄沿線開発の時代」 越澤明
巻頭のこの記事は、全体の概要になっています。
・東京の分譲地のパイオニアは、玉川電車の桜新町!なんと大正2年。
・東京の住宅地の先駆けとなったのは、なんといっても東急による洗足・田園調布の宅地開発。東急は、大岡山・日吉への学校誘致もしています。
東急の前身、田園都市株式会社は、大正4年に、欧米視察から帰国した渋沢栄一が、田園都市構想を打ち出したところからはじまります。目指したのは、イギリスで提唱されていた緑ゆたかな自然と共生する田園都市!
この理想を実現したのは、渋沢栄一の息子渋沢秀雄、ヘッドハンティングされた後の東急社長・五島慶太、アドバイザーとしてすでに大阪で同様のことを実現しはじめていた阪急電鉄の小林一三という豪華布陣!
イギリスやアメリカを視察し、最初は洗足、続いて多摩川台(現田園調布)を理想にしたがって、開発しました。
大岡山には関東大震災で被災した、東京高等工業高校(のちの東京工業大学)を誘致しました。
・京王による最初の分譲地は、上北沢。大地主と不動産会社が協力して開発しました。
・小田急は、中央林間で「林間都市」構想をたてたが、遠隔地すぎてうまくいかず!
学校がと地主が共同で分譲した成城学園が大成功!
・西武は、国立、大泉学園、小平の学園都市を開発!
・東武初の分譲地は、常盤台!東武から内務省にあがってきた計画が平凡だったため、内務省の新人のお役人が上司の指示でデザインし、その結果美しい街ができた、という物語があります。
・京成電鉄の唯一の分譲地は、千住緑町。
◆記事をかいていらっしゃる 越澤明(越沢明)さんのツイートより!
東京人2019年9月号。8月3日発売。越澤明「私鉄沿線開発の時代」 pic.twitter.com/8619PkxGG2
— 越澤明(越沢明) (@prof_koshizawa) 2019年8月3日
月刊東京人:一世紀のわたりブランドが生きる「田園都市構想」高瀬文人
この記事では、東急電鉄の沿線開発について書かれています。
さきほどの巻頭記事に加えて、こんなことが!
・開発した住宅地(田園調布など)の娯楽・スポーツ施設として、現在の「多摩川駅」の近くに、「温泉遊園地多摩川園」がつくられました。遊園地は長く営業しましたが、今はありません。
・昭和28年ごろ、東急電鉄社長の五島慶太は、「多摩田園都市構想」(川崎から横浜の山地に、緑地で囲まれた都市を計画的につくる構想)を打ち立て、昭和35年ごろから、分譲開始。たまプラーザ、二子玉川、青葉台など、この時代でも人気が衰えない住宅地となっています。
月刊東京人:堤康次郎の学園都市構想 内田宗治
後に西武グループをつくる堤康次郎の不動産会社「箱根土地株式会社」が開発した場所は、縁あって、土地を取得した目白文化村(中井駅)からはじまりました。学校を誘致しての学園都市も盛んに計画しました。国立、小平、大泉学園などです。
国立は一橋大学と共同でまちづくりに成功。一方、小平や大泉学園は、誘致するはずの学校が来なかったりと、学園都市としては苦戦しました。
月刊東京人:東京の東エリア、唯一の分譲開発 内田宗治
京成電鉄唯一の、東京の東エリア唯一の分譲が行われたのが、千住緑町(足立区)。
葦が茂る低湿地だった土地が、地下鉄工事などの土が運ばれ、宅地化。
太平洋戦争による焼失してしまったが、当時からの建物もわずかに残っている。
◆記事を書いていらっしゃる内田 宗治さんのツイート!
今日発売の月刊『東京人』9月号、特集私鉄がつくったまちに寄稿しました。国分寺ー国立(多喜窪通り、富士見通りなど)ー府中の箱根土地(西武グループの前身)による鉄道計画、国立駅前の京王電気軌道図面なども掲載です。 #国分寺 #国立 #西武鉄道 pic.twitter.com/bj6Btk99Ju
— 内田 宗治 (@dotteko1) 2019年8月3日
とまあ、全然書ききれませんが、東京の郊外をお散歩するんだったら、私鉄との関わりを知っていると、もっと面白くなるなと改めて気づかされるこの特集でした。