Contents
ブラタモリ(天草)崎津集落で潜伏キリシタンの秘密をさぐる
天草市、崎津(さきつ)という海辺からスタート。
「林田アナは今日が最後」
「さびしいです」
「そういいながら、翌日は知らん顔して番組していますよね」
「ご出世なさい」
◆
冒頭で触れるのはおそらく初 #ブラタモリ pic.twitter.com/5InsfD9DiP
— show16 (@show16_) March 14, 2020
タモリさんはここに来たことがあるそう。
この場所は、2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録映画「沈黙」の舞台でもある。
キリシタンは、250年ものあいだ、信仰を守り抜きました。
街中を歩きます。
イチジクが置いてあるのですが、「南蛮柿」と書かれている。
お店の方の説明で、「イチジクも天正の少年使節が持って帰ってきたもの」だそう。
ブラタモリ(天草)崎津集落で、秀吉も愛した西洋音楽を楽しむ
熊本大学の安高先生が案内人です。
◆案内人の安高研究室のツイート
「案内人の専門性を担保に制作さんの緻密な作り込み、博識なタモリ氏、機転をきかせるアシスタント林田氏によって創出されるハーモニーがブラタモリである」というのが島原天草編の案内人の感想です。#ブラタモリ
— 安高啓明研究室@雑記帖 (@IKMAGQyYOg8JbIq) March 14, 2020
修復中のカトリック教会。楽器を演奏する方たち。
当時西洋から来た楽器を復元したものだそうです。
イギリスのブタの皮をはったタイコ。
イタリアンヴァージナルというピアノのような楽器。林田アナが奏でると美しい音色。
◆
ブラタモリ見てる。
林田アナがハープシコードでインベンションのフレーズ弾いてる。さすが音大。
今日が最後って残念だな。#林田理沙#ブラタモリ pic.twitter.com/QOHfn2xdNa— PIGMONCAEF (@pigmon3) March 14, 2020
信長も秀吉も西洋音楽が好きだったそうです。
秀吉が3回もアンコールしたという「千のかなしみ?」を演奏していただきます。
この曲を天正の少年使節も秀吉の前で演奏したそう。
「この曲はたいこなかったんですね」
と太鼓奏者を心配するタモリさん。
ブラタモリ(天草)崎津集落で、潜伏キリシタンの秘密をさぐる
「忘れてたよ」と今日のお題。
「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」
この秘密をタモリさんが解き明かします。
では、潜伏の秘密をときあかしています。
「こんな小さな村でよくも・・」
キリシタンを探し出すのは庄屋だったが、踏み絵で信者を見つけようとした。
「板踏み絵」「真鍮踏み絵」の写真があります。
板踏み絵はこわれるので、途中から真鍮踏み絵に。
「どんな思いで踏み絵を踏んだでしょう」
「おれならあっさり踏むけど、逃れられるんならいい」とタモリさん。
「真鍮踏み絵は、あまり心苦しく踏んでいなかったようなんです」
板踏み絵には、ロザリオがあるけれど、真鍮踏み絵はロザリオがない。
踏み絵を作った職人は仏教徒で、ロザリオの大切さに気づかなかったらしい。
潜伏キリシタンの子孫だという、寿司店のご主人。
「44歳なんですけれど、自分がそういう家系だと知ったのが42歳の時、それも、世界遺産登録で父が新聞にのったことで知ったんです」
「すごい潜伏ですね」
たとえば、この家に受け継がれているのが、丸い硬貨が8つ。
「まるやまるやまるや・・」何度もいうとマリヤになる。
こういう、見つかってもわからないものを持っていた。
古い貝殻、よーーく見ると、天使が書かれている。
心のきれいな人にはマリアの顔が見える貝殻も。
「わからないね」
江戸時代には、子どもには言わなかった。縁座、連座もあるので、本当に言わなかった。
お店の前のしめ縄もなんだか十字架風。
この町では、一年中しめ縄をまつる風習がある。
しめ縄をだしておけば、「うちは神道」といえる。
潜伏キリシタンが寺社の氏子総代をつとめるケースもあった。
「うちもそうです」と寿司屋のご主人。
この町では、人口も少なく、宗教にこだわらず、みんなで力を合わせる風土があった。
いまも、神社の山からみると、教会がみえる。
寺社に属していれば、キリシタンではないとされる(寺請制度)ので、みんな属していた。
ところが、1800年ごろに、「天草崩れ」が起こる。
天草の人が信者だということが、ばれてしまったが、無事だった。
「百姓の宗門心得違い」として処理された。
取り締まる側に事情があり・・
これまで踏み絵も、寺請制度もしているのに、キリシタンが発見されたら、制度が悪いことになってしまう。
役人が知恵をしぼって、「宗門心得ちがい」として処理した。
「今の政府とかわらないね」
①踏み絵がちがうものだった
②崎津の宗教にこだわらない風土
③取り締まる側の事情
などが、潜伏の秘密だったようです。
ブラタモリ(島原)原城で島原・天草一揆の痕跡を探す
一行は船で島原へ。
島原・天草一揆の激戦地、原城に向かいます。
厳しい取り締まりに耐えかねたキリシタンによる一揆でした。
奈良大学の千田先生が登場。(お城の先生)
原城は大きい。
丘全体が原城。
一揆軍3万7千人、幕府軍12万人以上。
「いかに攻めるのがむずかしいか」
原城に上るには、クランク状の進路を何度も曲がる。
「この形は、なんでしたっけ?」
案内人さんが、林田さんに質問。
「クランク状になってる?」
「ま、す」のヒントで「枡形(ますがた)!」と正解。
この形は、侵入してきた敵に攻撃をあびせやすい。
「何回あるんだろう」
一揆のときも、この升形は最後まで突破されませんでした。
上に上がると、高さもある。
幕府軍の総大将も打ち取り、3か月も籠城した。
3か月も籠城するには、水も必要。
原城には、池があった。
池ができたのは、地層に関係がある。
島原ジオパークの案内人さんも登場。
下の方は泥岩。海の中でたまった地層。水を通しにくい、
上は、火山の火砕流によってできた地層。
「阿蘇」そうです。
ASo4という4回目の噴火による地層がこのあたりには奇跡的に残っていました。
二つの地層の境目から、水が湧き、池が出て、原城を支えました。
「一揆軍はわかってましたかね?」
「わかってただしょう。アソフォーじゃ」
幕府軍の球を使った十字架が残っています。
最後は、子どもから年寄りまで全員戦死した凄惨な戦いでした。
「幕府軍は宗教がこんなに人を奮い立たせることをしった」
だから、天草崩れを裁くことなく、秘策をとりました。
「キリシタンのイメージが変わった。表も裏も知りました」
興奮して、高所でずるっとしそうになるタモリさん。
◆千田先生のツイート!
『ブラタモリ』「姫路城回」で、タモリさんは「お城あんまり好きじゃない」とお話しされました。
原城で改めておうかがいしたところ、本物がしっかり残っている城の天守や石垣・堀、そして城の立地や地形を見るのは好きですよ、とのことでした。
全国の城ファンのみなさま、ご安心を!— 千田嘉博_城郭考古学 (@yoshi_nara) March 14, 2020
「二年間の思い出を抱きしめて、一生生きていきます。ありがとうございました」林田アナの挨拶。
「いやいやたいしたことせずに」
最後の写真で、花束をかかえた林田アナ。
◆
林田アナ、涙ぐむも最後は笑顔で。
#ブラタモリ pic.twitter.com/yatL5t2FTN
— りわ (@meltemsunnygm31) March 14, 2020
◆
林田アナは今夜で卒業です、お疲れ様でした🎉🎉 #ブラタモリ #林田理沙 #卒業 #NHK pic.twitter.com/PLNFkNHdUm
— TAKE7700 (@take7700gh5fs) March 14, 2020
◆
林田アナ、二年間お疲れさまでした#ブラタモリ#林田理沙 pic.twitter.com/s8Y2B2qIo4
— 東京日野サンバルカン@ (@toyoda362) March 14, 2020
ブラタモリ(天草)番組予告
「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」
世界文化遺産になった天草・島原の地域をタモリさんがブラブラ歩いて「潜伏キリシタン」の秘密を解き明かす!▽天草四郎ら一揆軍の戦いは日本の歴史をどう変えたのか!?
「ブラタモリ#160」で訪れたのは、熊本県・天草と長崎県・島原。2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されたこの地域で、明治まで約250年もの長いあいだ「潜伏キリシタン」が信仰を守り続けることが出来た秘密を探る▽キリシタンの知恵を探して崎津の町を歩く!▽秀吉も聞いた西洋音楽を鑑賞▽「島原・天草一揆」激戦の痕跡を原城の跡で探る▽林田アナ「ブラタモリ」ラストの言葉 |